心から復帰したいという境地には達していない。
「早く職場に戻りたい」――復職を願う「ウツ」休職者に潜む落とし穴
――「うつ」にまつわる誤解 その(9)
http://diamond.jp/series/izumiya/10009/
このところの急激な景気悪化により、雇用情勢が極端に厳しいものになってきていますが、これが「うつ」等の事情で休職中の方々にとっても、強く焦りを生じさせることになってきている傾向があるようです(ダイヤモンド・オンライン「inside 第262回記事」参照)。
そこで今回は、「復職」を急ぐ気持ちについて考えてみたいと思います。
焦ってなんか
いないのに!
Yさんは大手メーカーの企画開発チームのリーダーですが、半年前から「うつ病」の診断で休職中です。
当初はどうにも動けないくらいの状態でしたので、自宅療養も致し方ないと思って休養に専念する気持ちでいました。しかし、3ヵ月ほど経った頃から、抑うつ気分・意欲減退・疲労感・睡眠障害などの自覚症状が軽くなってきて、1日も早く職場復帰したいという気持ちが徐々に強まってきたのです。メンタルクリニックへの通院間隔も、状態が落ち着いてきたということで、毎週だったものが隔週で済むようになっていました。
Yさんは、そろそろ「試し出社」ぐらいできそうだと強く思うようになり、休職も4ヵ月が過ぎた頃、思い切って主治医に復職への気持ちを話してみることにしました。すると、主治医からこんな答えが返ってきたのです。
「確かに、状態は確実に良くなってきてはいます。でも、まだ復職のことを考えるのは早いと思います。会社のことを今は考えずに、もうしばらく自宅療養を続けた方がいいと思いますよ」
これを聞いたYさんは、納得がいきません。
「もう十分元気になっていますし、出社できる自信もあります。家でゴロゴロしている方が、私にはかえってストレスなんです。私がいなければ進まないプロジェクトもありますし……。もうしばらくって、いったいあとどれくらいなんでしょう?」
「今はまだ、Yさんは焦っている感じがします。その焦りがなくなったらということです」
「全然、焦ってなんかいないつもりなんですが……」
結局、この時点では主治医から復職の許可がもらえず、Yさんは今でも自宅療養を継続しています。しかし、主治医に言われたような「焦り」が自分にあるとは感じられないので、今でもYさんは、どこか釈然としない気持ちが続いています。
「焦り」という説明では
伝わらないこと
このYさんのケースに限らず、復職の時期をどう見極めるかということは、医師側の見立てと患者さん自身の気持ちとが食い違いを生じやすく、治療の流れの中でも難しいポイントの1つです。
このYさんの主治医のように、「焦り」というキーワードで「復職が時期尚早であること」を説明されるのが、一般的にも多いのではないかと思われます。
「早く職場に戻りたい」――復職を願う「ウツ」休職者に潜む落とし穴
――「うつ」にまつわる誤解 その(9)
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しかし、医師からは「焦り」に見える状態であっても、Yさんのように、それを本人が自覚していないことも多く、患者さんにしてみれば、いわば身に覚えのない「焦り」があると指摘されたようなものですから、せっかくの復職の意欲をそがれたとさえ感じてしまうかもしれません。
そこで、治療者も患者さんも一致できるような状態の見極め方が必要になってくるわけですが、それには少々コツがいります。
「復職したい」は
本当に「心」の声なのか?
ここでまた、連載第1回で使用した図を参照してみましょう。
改めて説明しますと、「頭」とは理性がコンピューター的な機能を果たす場所で、「~すべき」というようなmustやshouldの系列の言い方をするところです。
一方の「心」は感情や欲求の場であり、「~したい」といったwant toの系列の物言いをするところです。
しかし、今回取り組んでいるようなテーマを考えるうえでは、これだけではうまく説明がつきません。つまり、図式通りに考えた場合には「会社に復帰したい」ということは「~したい」なので、これは「心」の声であると判断されます。それならば、患者さんは良い状態なのだから、復帰を引き留める必要などないことになります。
しかし、Yさんの場合のように、本人は自覚していないけれども、治療者や周囲の人間には確かに感じられる本人の「焦り」については、これではうまく説明できないのです。
それでは、この状態をいったいどう考えたらよいのでしょうか。
「頭」は「心」の
ように偽装する
先ほど、「~すべき」と言ってくる場所が「頭」であると説明しましたが、「頭」はしばしば、これを「~したい」と《偽装》することがあることを知っておく必要があるのです。
この「頭」が偽装する機能について、便宜的に「偽の心」というものがあると考えて、次の図のようにイメージしてみましょう。
「偽の心」から出てくる「~したい」は、その正体が「頭」由来の言葉であるために、「心」が「~したい」と望んだ時のようには「身体」がついてきてくれません。そのような状態では、「~したい」という言葉が出てきていても、表情を含めた「身体」の感じが伴っていないちぐはぐさが見てとれます。それが、周囲の人間には「焦り」として伝わるのだと考えられます。
このように考えてみれば、Yさんの場合の「復職したい」がどういうものであったのか、理解できるのではないかと思います。
「早く職場に戻りたい」――復職を願う「ウツ」休職者に潜む落とし穴
――「うつ」にまつわる誤解 その(9)
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本当に復職が可能なのは、
どんな状態の時なのか?
では、本当に「心」が「復職したい」と言ってくる状態、つまり復職が真に可能な状態とは、どんなものなのでしょうか。
「うつ」とは、そもそも「頭」の一方的な支配下に置かれてうんざりした「心」「身体」が、「頭」に対するレジスタンス運動としてストライキを起こした状態です。ですから、「頭」の指令によって動くことについては、キッパリとした拒否反応を示します。そのため、「頭」の偽装した「復職したい」によって復職を試みたとしても、うまく長続きしないことが多く、再び休まざるを得なくなるリスクが高いのです。
Yさんのように「偽の心」由来の復職希望が出てくる時期に、先ほど述べたようなからくりを本人も理解できれば、その後にやっと、真の意味で「心」や「身体」が休養できる時期がくるのです。そうなった状態では、当然ながら「休んでいること」について「頭」が否定的にコメントしてくることはありません。少々大げさに言えば、休んでいることを安心して享受する感じになるわけです。
極論めいて響くかも知れませんが、事情さえ許せば、人間というものは義務を伴う仕事を決して自発的に「したい」とは思わない生き物であるはずです。しかし、近代化された社会に生きている私たちは、仕事は初めから当然「すべき」ものだと教化され、「したい」とさえ思い込むまでに「社会化」されてきています。しかし、この「社会化」とは、もっぱら私たちの「頭」に対してなされたものであって、自然の摂理を失わない「心」や「身体」は決してそれに染まってはいません。
ですから、「頭」が余計な口出しをしない「真の休息」状態にいたった際に、「仕事になんて、本当は行きたくない」という最も正直な気持ちが表れてくるのは、いわば当然の理なのです。
「真の休息」の後に
何が起こるか?
このような「真の休息」の時期を過ごしていきますと、その先に不思議なことが起こってきはじめます。
それまで心地良かった「休む日々」「好きに遊ぶ日々」が、何か物足りない「退屈なもの」に感じられるように変わってくるのです。ここが、人間が「社会的動物」と呼ばれるゆえんなのでしょう。つまり、社会と関わって自分をその中で生かしたいという欲求が、自然に「心」から湧き上がってくるようになるのです。
これは、「偽の心」が出してくるものとは、決定的に質が異なります。その違いは、本人にも、周囲の人間にもはっきりと感じ取れるくらいのもので、ある種の「生気(精気)」に満ちた状態と形容することができます。
このように、「心」由来の真のモチベーション(動機)にもとづいて行われる復職(社会復帰)は、もはや本人自身も周囲も不安を抱くことなく行える永続的なものになります。
逆に言えば、復帰と休職を何度も繰り返してしまうケースや、長い期間状態が改善できずにいるケースのほとんどは、「真の休息」にいたる前の段階で復帰を急いでしまっているか、「社会化」された「頭」が「心」に「真の休息」をいまだ許していない状態にあるのではないかと考えられるのです。