パニック障害と「ウツ」――“いま”を生きづらい現代人への警鐘
――「うつ」にまつわる誤解 その(21)
http://diamond.jp/series/izumiya/10021/?page=3
<引用>
「将来に備える」価値観の落とし穴
いくら将来のためとはいえ、現在を生きることに手応えが欠けてしまっては、「心」(=「身体」)は早晩、実力行使に訴えてくることになります。
その実力行使が、パニック障害の形をとることもあれば、「うつ」の形をとることもあるでしょう。しかし、重篤な身体疾患を引き起こし、仮想の“メメント・モリ”ではなく、身体的で現実的な死の恐怖の形で“メメント・モリ”を突きつけてくることもあるのではないか。
つまり、象徴的な次元でメッセージが発せられた時にはメンタルのトラブルの形をとりますが、現実的な次元でなければメッセージが届かないとなれば、やむなく身体的疾患の形をとることになるのではないかと私は考えるのです。
「将来に備える」という考えは、仏教的に観れば「執着」と捉えるべきものでもありますが、今日ではこの考えが真っ当なものとして、個人のレベルを超えて社会全体の風潮にまでなっています。しかし、「将来に備える」という一見正しく合理的に見える価値観は、「いま・ここ」を生きるという自然な在り方を犠牲にする危険な側面も持っていることを忘れてはなりません。
忍耐強く禁欲的であることを美徳として勤勉に生きてきた私たち日本人は、ともすると「いま・ここ」を大切にすることに罪悪感すら抱いてしまう傾向があります。しかし「将来への備え」の正体とは、実のところキリのない「執着」であり、「いつかそのうちに」と思って「いま」を浪費しているうちに、貴重な人生の時間は終わりを迎えてしまうかもしれないのです。
「死を想え」という古い格言や「今日という日を摘め」という古い一節は、今日の私たちにとって決して無用なものではありません。古今東西、人間の生きている実感とは、常に「いま・ここ」以外で得られたことはなかったのです。
(以上、引用終わり。)
きりのない執着、
「いつかそのうちに」と思って「今」を浪費している・・・
とても自分に当てはまると思う。
心が感じる「直観」に正直である瞬間も大切。
今も、大切にすることができるようになりたい。