☆「メランコリー親和型性格」と「執着気質」
☆人間関係で「衝突を避けようとする」傾向
☆過度に「他人からどう思われるか」を気にする
☆自己評価が低く、自分自身を無条件には愛せないという「自己愛」の問題
全部、当てはまる。
それが混在している。
僕の中に、渦巻いているのだ。
僕ほどドンピシャに鬱状態になりやすいタイプっているのかな(笑)。
「性格」=鬱を生む土壌。
何とかしないとね(^-^;)
「ウツ」になりやすいタイプに“異変”も
――「ウツ」と「性格」の関係とは?
――「うつ」にまつわる誤解 その(12)
http://diamond.jp/series/izumiya/10012/
「うつ」の状態が起こる要因の1つとして、もともとの性格がどうであったのかという問題があります。このように病気が生まれる土壌となる性格を専門的には、「病前性格」と呼びます。
今回は、「うつ」に陥りやすい性格とはどんなものなのか、また、そのような性格は変えることができるのか、というテーマについて考えてみたいと思います。
「何事も正確に、綿密に・・・」
勤勉で善良なタイプの人が危ない!
古典的なタイプのうつ病や躁うつ病(第5回参照)については、古くから病前性格についての議論がなされてきましたが、特に代表的な説として「メランコリー親和型性格」と「執着気質」があります。
1961年にドイツの精神病理学者テレンバッハが提唱した「メランコリー親和型性格」というものは、次のような特徴をもつ性格を指しています。
☆作業に正確さを求める
☆綿密
☆勤勉
◆良心的
◆責任感が強い
◆対人関係では衝突を避け、他人に尽くそうとする
これらは、いずれも「秩序を重んじる」という点で共通しています。
これらの内容は、大きく2種類に分類できることがわかります。つまり、1つは作業をどう行なうかという「作業遂行上の秩序」で、もう1つは道徳・責任・人間関係などに関する「社会的な秩序」です。先ほどの項目で言えば、ちょうど上の3つと下の3つがそれぞれに相当します。
「作業遂行上の秩序」は対象が「作業」ですから、時間と労力を必要なだけ充分にかけさえすれば、その高い要求水準を達成できるかもしれません。しかし、仕事や学業などにおいてはたいていの場合、外部からの制約が課せられてしまうものでしょう。つまり、締め切りで時間が限定されるでしょうし、作業量も自分の都合で勝手に減らすわけにはいきません。
そのうえ「メランコリー親和型性格」の人は、性分として「正確に」「綿密に」行なわないと気がすまないわけですから、作業量は実質的には課せられたものの何倍にもふくれ上がってしまいます。
このようにして過度な負荷がかかり、ついには達成不可能な状況にまで陥ってしまうと、「頭」の過度な要求にたまりかねた「心」(=「身体」)がブレーカーを落とすことになってしまいます(第1回参照)。これが「うつ状態」です。
「自分に鞭を打ち、衝突を避ける・・・」
責任感が強く良心的な人が陥りやすいワナ
ここに、もう1つの「社会的な秩序」を重んじる傾向も加えて考えてみましょう。
責任感が強く、良心的に業務を遂行すべきだと考える性格ですから、手抜きや期限を破るようなことを自分に許しません。たとえ作業量が多過ぎても異議を唱えたりすることなく、自分に厳しく鞭打って、睡眠時間を削ったりしてやり通そうとします。
「ウツ」になりやすいタイプに“異変”も
――「ウツ」と「性格」の関係とは?
――「うつ」にまつわる誤解 その(12)
http://diamond.jp/series/izumiya/10012/?page=2
しかし誰にとっても1日は24時間であり、体力や集中力の持続にも当然限界がありますから、それを超えてしまった場合には、やはり破たんを来たしてしまうことになります。
また人間関係で「衝突を避けようとする」傾向は、いくら自分がそう望んでいるからといって、「相手」のあることですから、時にうまくいかないこともあるでしょう。
相手から無茶な要求を突きつけられた場合、あるいは、相手が悪意を向けてきた場合や不誠実な相手との関係等においては、「衝突を避け、良心的であり続ける」ことは、どんなにがんばってみてもうまくいかず、裏切られたり傷ついたりしてしまいます。
そして、「心」から湧き上がってくる怒りや恨みなどの感情すらも「良心的」であろうと考える「頭」によって却下されてしまい、それら行き場のない感情が、「心」(=「身体」)のストライキ、つまり「うつ状態」を招くことになってしまうのです。
もう1つの「執着気質」とは、精神病理学者の下田光造氏が1950年に躁うつ病者の病前性格として提唱したもので、「熱中性・徹底性・几帳面・真面目・責任感」を特徴とする気質です。熱中性(一度起こった感情が長く強度を持続すること)という項目を除けば、ほぼ先ほどの「メランコリー親和型性格」と重なる内容で、いずれも組織に重宝がられる模範社員・模範学生タイプなのです。
「遊びには行けても、会社には行けない」
新しいタイプの「うつ」になりやすい性格は?
さらには近年、“遊びには行けても会社には行けない”といった一見怠けているかのように見える新しいタイプの「うつ」も増えてきています(第5回参照)。このタイプの「うつ」においては、性格傾向についてどのような特徴があるでしょうか。
非定形うつ病、神経症、パーソナリティ障害、適応障害等が新しく「うつ」と診断されることの多い病態ですが、それぞれ様々な性格傾向の違いはあるものの、対人関係への過敏さ、つまり過度に「他人からどう思われるか」を気にする「神経症性」が存在していることや、不当に自己評価が低く、自分自身を無条件には愛せないという「自己愛」の問題などを根底に抱えている点で共通しています。
この新しい「うつ」に陥りやすいタイプは、傷つきやすい繊細さを奥に秘め、他者からの評価を拠り所とする傾向が強く、それが時には感受性豊かな仕事を生んだり、人並み外れたがんばりを見せたりする原動力にもなります。
しかし、ちょっとした失敗に挫折感を抱きやすかったり、人間関係による動揺が大きいといった弱点も抱える、敏感な性格傾向だと言えるでしょう。また、古典的な「うつ」についての「病前性格」の傾向も、程度は様々ですが、混在していることも少なくありません。
性格は一生変えられないのか?
残念ながら、一部の専門家にすら「性格は一生変わらない」と考える向きがあるようですが、これは誤った認識だと言わざるを得ません
「ウツ」になりやすいタイプに“異変”も
――「ウツ」と「性格」の関係とは?
――「うつ」にまつわる誤解 その(12)
http://diamond.jp/series/izumiya/10012/?page=3
「性格」という概念を掘り下げて考えてみると、2つの要因によって構成されていることがわかります。
人にはそれぞれ生まれ持った「資質」というものがありますが、これは一生変わることのない先天的なものです。しかし、「資質」はあくまで「性格」の素材であって、それがその後の環境要因や様々な人生上の出来事によって、後天的に変化発展していきます。つまり、その人の人生の歴史が「資質」という素材を料理し、「性格」を作り上げていくのです。
「うつ」の問題に取り組んでいくうえで、先ほど述べたように「性格」は、発症の土壌となっている重要な要因です。もしも、この「性格」が変えようのないものだとすれば、治療法としてはひたすらにストレス要因を遠ざけ、症状を薬物によってコントロールする以外にないということになるでしょう。実際、そのように考えているとしか思えない治療が、残念なことに依然として巷にはびこっているように見受けられます。
しかし、この「性格」に対するアプローチが決して不可能ではないと認識できれば、より根源的な治療の可能性もイメージできるのではないかと思うのです。
短所と長所は同じ資質だった
先天的な「資質」を変えることはできませんし、変える必要もありません。「資質」自体は素材なのであって、素材が悪さをすることはないのです。問題となるのは、常に後天的な歴史による“変形”なのです。
抽象的な言い方になりますが、「短所と長所は同じものの異なった現われである」と言うことができます。
「資質」のプロフィールは人の数だけ様々あるのですが、なかでも突出して持っている性質を良い形で発揮できれば「長所」となり、誤ってマイナスの評価を下してぞんざいに扱えば「短所」になります(ロサンゼルス・オリンピックの柔道無差別級で金メダリストとなった山下泰裕氏が、子供時代にはよく喧嘩をして持て余していたけれども、柔道を始めることによって精神的にも安定するようになり、ついには世界一にまで登りつめたという逸話は、まさにその典型的な実例です)。
ですから治療としては、「性格」として大づかみに捉えることを止め、そこから先天的な「資質」と後天的要素を丁寧に選り分ける作業を行なうことが必要になります。後天的要素の中には、「自己愛」の傷つきや「神経症性」を生み出す原因となった「心」の歴史も見つかってきます。これらを丁寧に扱い、現在にまで及んでいる心理的呪縛を解く作業を行ないます。
そのうえで、「資質」が最も望ましい形で開花する方向を明らかにし、「頭」によるオーバーコントロールが解除されるように、ガイドやサポートを行ないます。
「うつ」を生んでいる土壌である「性格」に対する治療アプローチとは、このように十分に可能なものなのです。