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敏腕セールスマン(あなたという商品をとことん世間に売り込みます)
ゴホン。では、資料をまとめてきましたので、これからみなさんに、東山さんの素晴らしさを説明させていただきます。

◆隠れた才能「鑑賞力」

東山さんの才能は、なかなか世間のみなさんからは気付かれにくいものです。なぜならば、その才能は東山さんの内部にある上に、彼女はそれを外に向けて発信するような性格ではないからです。その才能とは「感覚」。例えばコーヒーに造詣が深いとしたら、多くの人は「これは○○産で…」と思考したり「おいしい、まずい」などと感情で捉えるのに対し、東山さんならばそれに加えて「コクが深い」「まろやかさがある」などと感覚を鋭くして捉えます。その感覚がどのジャンルに使われるかによって、例えばソムリエ、芸術などの評論家全般、なんらかの審査員、またインテリアやアパレルなどのコーディネーターとしても才能を発揮できるでしょう。

◆大物感がない?

東山さんは、しっかりしていて生活を上手にこなす半面、面白みに欠けると思っている人が多いようですね。しかも人づきあいも決して得意ではなく、彼女はノリが悪いかのように思われがちです。また一見すると、どこにでもいるような人に思われてしまうのでしょう。しかしそれは大間違いです。彼女が感じ取り洞察した世界はとても深く、表から見れば3階建ての建物に見えて実は地下が50階もあったというぐらいの、「内的な深み」を隠し持った大物です。やや感情が強い面もあり社会では苦労しそうですが、彼女の才能をそのままほったらかしにするのは、社会にとって損失なのです。この才能にみなさんが注目されることを願います。

◆情緒豊かな女

恋愛という視点で言えば、東山さんはまず情に厚く、誠実さを持っています。また、きめ細やかでいかにも女性的といった精神性を持ち、それを素直に発揮できれば男性からはとても魅力的に映るはずです。また、世間の風潮に流されることなく自分の幸福感に従って生きるタイプであるために、日々の生活の中から楽しいことを見つけ出して人生を充実させていくことでしょう。長く付き合うことや結婚にも向いており、生涯を共にするおすすめの女性であると、私が太鼓判を押させていただきます。

◆じめじめしている?

男性陣の意見として、やや重そうとか、面倒くさそうと思う人もいるようですね。確かに彼女は、内面的には実はなかなかの臆病者で自信がないところがあり、それが怒りっぽいとか、不満を言わないまま溜め込みやすいなど、悪い方向へ出てしまうことがあるのです。感情の波を扱うのが難しいという側面はありますが、それは情緒豊かな彼女の魅力と表裏一体のものなのです。むしろ彼女が感情を殺さなくていいような、心の広い、理解の深い男性が彼女には望まれていると言えるでしょう。


 
敏腕セールスマン(あなたという商品をとことん世間に売り込みます)
ではレポートをつけておきますね。以下をご覧ください。
◆能力型
「感受性&感性」タイプ


色彩、音、味、雰囲気等を捉えるセンスが鋭く、ものの良し悪しを感じやすい。世間への関心はかなり薄く、独自の基準を持つ。恋愛や趣味等に溺れて人生を食いつぶす可能性あり。

◆才能を発揮しやすい職業

芸術等の審査、評論家全般、写真家、オタク、服飾等コーディネーター全般

◆才能を発揮しづらい職業

理数系の学者、経営者、弁護士等の法曹関連、医療、金融、不動産業界

◆うまくハマればズバ抜けた能力を発揮しそうな職業

ソムリエ、作曲家、ピアノの調律や香水等の調合

◆恋愛における長所

・人の気持ちに理解がある
・好きな人を想う気持ちが強い
・癒す力がある
・落ち着いた魅力がある

◆恋愛における短所

・あまりしっかりしていない
・思い込みでの嫉妬や束縛が激しい
・華やかさに欠ける
・ノリが悪い


こちらより、ジャンプ! <↓>

http://salesman.hanihoh.com/q/


今までの子育て、これからの子育て
~非行少年から学ぶ脳の機能失調~

http://www3.ocn.ne.jp/~pohce/kosodate.htm

読み返すための貼り付けです。

正義が常に正しいとは限らない。人間関係を円滑にする為の心構え
  http://inthetic.blog15.fc2.com/blog-entry-26.html

「正義」の反対は、何だと思いますか?

その問いへの答えに触れながら、人間関係のコツについて
考えていらっしゃるページ。

深い・・・。

『海軍vs麦わらの一味』の構図に通ずるものがあると感じました。



ある小学校の卒業生&保護者に向けた、学級通信最終号だそうです。
読み返したいので、貼り付けます。

http://d.hatena.ne.jp/kaisaki37/20100326/1269593408



まとめ:文章を磨きあげるテクニックとチェックのハック12選

http://www.lifehacker.jp/2009/11/091121_bunsyou.html











社会学者の研究メモ

[] (学生向け)面白い論文の書き方(その一)

http://d.hatena.ne.jp/jtsutsui/20091118/1258493141



<引用>

学生の論文には、読んでいて面白いものと、苦痛なもの指導しがいのあるものがあります。後者のような論文を書く学生は、論文についてこう考えていることが多いです。

興味のあることを見つけて、それについて文献を読み、それをまとめて、最後に自分の意見を書く。

こういう指導をされている先生方は意外に多いのではないかと思います(自分も昔はそうでした)。指導がラクだし。しかしこれは論文を書くときの方針にはなりませんし、してはダメです。

論文とは「研究成果」のアウトプットの1つです。少なくとも社会学における研究とは、解かれていない謎や決着のついていない問いを自分で見つけ出し、データ等の証拠を使ってそれに答えることです。(それ以外の論文もありますが、まず基本を抑えないとダメです。)上記のダメ方針は、研究と単なる勉強を取り違えているのです。

研究の手順は標準的に教えられているもので十分です。

  1. リサーチ・クエスチョンをたてる
  2. 関連文献、先行研究を読む
  3. 仮説を立て、データを集めて、検証する
  4. アウトプットとしてまとめる

ただ、これから書くように、必ずしもこの作業が順番に進むわけではないです。文献を読んでリサーチ・クエスチョンを立て直すこともあるでしょう。

リサーチ・クエスチョン

まず出発点として、問いかけがオリジナルで興味深い(そして社会的意義を持つ)ことが必要です。いわゆる「リサーチ・クエスチョン」ですね。これ次第で研究の意義深さが全く違ってきます。

一線級の学者さんたちは、社会的意義が大きな問題に取り組んでいます。「格差は維持されいているのか?」「なぜ日本人は子どもを産まなくなったのか?」など、日本の国の形に直接関わってくる研究テーマを設定しています。

しかし、社会的に意義が大きな問いに真っ正面から答えるためには、たいていの場合大規模な調査が必要になることが多いです。「地球は温暖化しているのか?」という問いなんて、国際協力チームによる調査データを使っています。学生や大学院生(そしてほとんどの大学教員)にとって、これに対抗することは難しいです。この場合、文献を読んでそれを前提として、自分は別のリサーチ・クエスチョンをたてるのがいいでしょう。「地球温暖化意識に対する大学生の意識は高いのか?低いのか?」といった具合です。これなら偏りのあるデータなら入手できます。

つまり「リサーチ・クエスチョンは興味深いものである必要があるが、それを検証するデータが入手できる範囲で」ということになります。また、学生レベルではランダム・サンプリングデータを入手するのは難しいので、「今回は小規模サーベイやインタビュー・データを使ったが、面白い結果が出たので、今後より偏りのないデータで検証に値する仮説として提示する」と持って行くやり方もあります。

※注意点

ここでよくあるパターンとして、最初にたてたリサーチ・クエスチョンが、関連文献を読むに従って変わっていく、というのがあります。すでに検証されている場合、もちろん問いかけを変える必要があります。実際にデータを集め始めるまで、問いかけの仕方は工夫の余地があります。場合によってはデータを集めた後で問いかけを変えることもできます。(こことか参照。)

他方、よくないパターンもあります。それは、文献に埋もれてサマリを作ったりしているうちに、最初の問いかけ(謎)を忘れてしまうことです。常に、最初にもった疑問を忘れないで、それに沿って文献をまとめていく必要があります。

たいていの研究では、最初にたてた問いは問いの形をとっておらず、漠然とした「テーマ」になっていることでしょう。「晩婚化について」「最近のCMについて」など。こういう場合は文献を読みながら問いを探すことになります。繰り返しポイント:問いを探さないでまとめるだけだとダメです! 問いを探すために、文献を読むのです。研究と勉強は違うということを学生にちゃんと理解させましょう。

仮説構築

必ずしもあらゆる研究が仮説検証型になっている必要はありませんが、私の方針はこうです。「仮説検証型にすることが論文の構成を著しく損ねるのでなければ、仮説検証型にしなさい。」要するに「まずは仮説検証でやってみて、どうしても無理だったらやめなさい」ということです。他にいろんな形があることも分かりますが、仮説検証型は最も指導しやすく、また効率的な方針です。(学生に宮台先生や立岩先生のようなセンスや洞察力があるなら、勝手に書かせた方が面白いかもしれませんが。)

次が肝心。仮説検証型の論文はあまたありますが、ちょっと工夫するだけで格段に論文がスリリングになります。


<謎解き型>

「そういわれてみれば謎だよな~」ということは世の中にたくさんあります。それを問いかけとして設定し、謎解きを仮説として提示します。(謎解きが結論じゃないですよ!)そしてその謎解きの理屈(推理)が正しいことをデータで検証するのです。こういう論文は、読んでいる方は推理小説のようで楽しいものです。

お手本となる論文は以下です。

小笠原祐子, 2005, "有償労働の意味:共働き夫婦の生計維持分担意識の分析", 『社会学評論』56(1): 165-181.

簡単に言うと、問いかけは「どうして日本の夫婦は、妻が夫と同じだけ働いていてもほとんどの家事を負担するのか」ということです。これは従来の家族社会学では謎でした。たしかに夫婦の収入格差や労働時間格差でもある程度家事負担格差は説明できますが、こういった要素を考慮に入れて補正しても、圧倒的に妻が家事を負担しているのです。なんて非合理的なんでしょう!

これに対して、著者は「市場労働の量が同じでも、意味づけが違うのだ」と主張します。たとえ共働きで同じだけ稼いでいても、夫婦の間で「妻の方はあくまで家計の補助であり、やめても夫の収入で何とか暮らしていける」といった合意があれば、現状で妻が夫と同じだけ働いていても、妻がすすんで家事負担をするわけです(将来の収入貢献の差まで考慮するとそうなる)。合理的。

この論文は少数サンプルへのインタビュー調査なので、学術的には「新たな仮説の提示」になっているといえるでしょう。

他にも優秀な謎解き型論文はたくさんありますが、こちらは来年度末くらいにはでるはずのテキストにて。


<対決・決着型>

「こういう考えもある。反対にこういう考えもある。いったいどっちが正しいのか、自分で調べてみたから、白黒つけようじゃないか」という論文。この場合、仮説を2つ立てるわけです。仮説と対抗仮説。

自分の論文(2008年の日本社会学会報告)で恐縮ですが、例をあげます。結婚するときに、親からあーだこーだと干渉を受けるのは、娘でしょうか息子でしょうか。

  • [仮説]:息子である。なぜなら息子には家の存続というプレッシャーがかかるからで、親も当然息子がどういう女性を「家に入れる」つもりなのか気になるからだ。娘は「他の家にやる」のであまり気にならない。
  • [対抗仮説]:娘である。なぜなら娘の幸せは結婚相手にかかっているから。親は、まだまだ世の中のことを知らない娘がヘンな男に引っかからないように気を遣うはずだ。息子?ヘンな嫁と結婚したら離婚したらいいでしょ。収入あるんだし。

答えは「娘」でした。

ここでワンポイント。仮説には仮説を支持するための「理屈(なぜなら~)」をつけましょう。単に、「息子である」「いや娘である」だけではダメです。仮説は理論的構築物、それをデータで実際に検証するのです。理論的に意味づけられていない仮説を検証してもしょうがないですからね。

他にもシンプルに「今まで調べられていないから調べてみた」型論文もあってもいいかと思いますが、謎解き型か対決・決着型にできるなら、そちらにした方がいいです。いろいろ理由はありますが、読んでいて面白いから、という理由を挙げておきます。

<以上、引用終わり。>

他人からの批判に傷つきやすい人のための6つのカギ

http://jp.blogs.com/2009/11/post-167.html

<引用>

どんなときに「傷つき」ますか? 
アタシはというとノミの心臓、些細なことでビクビクしすぎ、脆く危うくフラジャイルなたちなのですが......他人からの批判に対して、効果的に対処する6つのカギがあるそうです。

  1. 自分に向けられた批判に対して効果的に対処しなければならない理由を明確にすること
  2. 当面している事態の重大さを瞬時に判断できるようになること
  3. 超然として批判に動じない態度を身につけること
  4. 批判に反応する際、心をコントロールする術を身につけ、自分自身との対話を自分が意図した方向に沿って進むようにすること
  5. 自分のパーソナリティをコントロールできるようになること
  6. 自分を傷つける批判に対処するため、どんな行動をとることができるか学ぶこと

主体性をもって状況判断をし、物事に動じず自分をコントロールして、自分がどんな行動をとるか学ぶ......ムムムどれも難しそう。

当面している事態の重大さを瞬時に判断できるようになること
ある人の批判を、100%無視したとして、つまり聞かなかったものとしたとき、起こりうる最悪の結果とは何かを、紙に書き出してみること。これを手早くやれるようになればなるほど、実は対人関係のダメージを、より少なくできるのです。

超然として批判に動じない態度を身につけること
ムリにでも笑えば、多少は気持ちが上向きますし、怒鳴られても平然としていれば、目に見えて落ち込むよりは、効果的な反撃になり得ます。ポイントは、動転しないことです。そして、自分の意見をすぐに口に出さないこと。

批判に反応する際、心をコントロールする術を身につけ、自分自身との対話を自分が意図した方向に沿って進むようにすること

・ネガティブな自己対話をやめようとすることはできること
・ネガティブな自己対話をやめることには意味があること

をいつも認識するようにすれば、効果が上がってきます。

 


個人的には「1日は24時間しかないので、気に病んでいても仕方あるまい。もっと他に大切なことに心を割かなくちゃ」と、さっさと忘れちまうことを実践しています。が、全部とはいわないまでも、このようなカギが一つでも会得できればもう少し強くなれるでしょうか?


[ 傷つかないための6つのカギ - 佐々木正悟のライフハック心理学 ]

<以上、引用終わり。>



・・・
疲れた。
またやろう。

(この記事は、途中です。)

▼引用。▼


☆「メランコリー親和型性格」と「執着気質」

☆人間関係で「衝突を避けようとする」傾向

☆過度に「他人からどう思われるか」を気にする

☆自己評価が低く、自分自身を無条件には愛せないという「自己愛」の問題

全部、当てはまる。

それが混在している。

僕の中に、渦巻いているのだ。

僕ほどドンピシャに鬱状態になりやすいタイプっているのかな(笑)。




「性格」=鬱を生む土壌。

何とかしないとね(^-^;)


▼引用。▼

<「死にたい」という気持ちの激しさは、
実は「自分らしく生きられるのならば、生きたい」という
心の痛切な叫びであるとも考えられる・・・>


そう。


もし自分が自分らしく生きられている、
自分の力が発揮されることで
達成感が得られるのであれば
もっと力強く生きていたい。


そう思っている。僕も・・・


▼引用。▼

クスリに頼るのは悪いこと?――「抗うつ薬」の効用と限界

――「うつ」にまつわる誤解 その(10)

http://diamond.jp/series/izumiya/10010/?page=3

<引用>

脳内物質のアンバランスが、
「うつ」の「原因」なのか?

 さて、先ほども触れた脳内物質のアンバランスが「うつ」の原因であるという説について、ここで1つだけどうしても論じておかなければならないことがあります。それは、脳内物質のアンバランスを「うつ」の原因と言って良いのだろうかという問題です。

 確かに、脳化学的な研究や薬理学的な研究では、そのような「アンバランス」が確認もしくは想定されるでしょう。しかし、これはあくまで現段階の科学で観察され得る物質レベルの「現象」に過ぎず、正確に言えば「中間現象」に過ぎないのではないかと思うのです。「うつ病」や「うつ状態」は、決して先天性疾患ではありませんから、なぜある時までは正常に機能していたのに、急に「アンバランス」が生じたのかと考えると、その「アンバランス」をひき起した「何物か」をこそ、真に「原因」と呼ぶべきではないだろうかと私は考えるのです。

 ですから、「アンバランス」を薬物療法によって整える作業は、厳密に言えば「うつ」という状態に対しての対症療法なのであって、「うつ」をひき起こした何らかの根源に対する根治療法とは言えないわけです。

 この真の原因としての「何物か」は、第4回でも触れましたが、その人の生き方に関わる深い次元での見直しを迫るメッセージを含んでいるもので、各人各様の内容を負ったものと考えられます。

 その次元に向けてアプローチを行なって根本的解決を目指す精神療法と、症状を軽減して療養しやすくすることで治癒力の発現を助ける薬物療法とを、それぞれの目的と限界を把握したうえで、病態や状態に合わせて上手に活用することが治療として大切なスタンスだろうと思います。

 ですから、「クスリさえ飲んでいれば良い」という考え方も「クスリには意味がない」という意見も、いずれも偏った認識なのであり、そのような極論に振り回されてしまうことは危険なことだと言えるでしょう。

(以上、引用終わり。)


「その人の生き方に関わる深い次元での
見直しを迫るメッセージを含んでいるもの」か・・・。

重たい。

前々から「変わりたい」と思ってきたし、
周りからも「変われ!」といわれ続けてきた。

でも、「どう変わればよいか」がつかめないでいた。

周りの人は口々にアドバイスをしてくださるが
それを僕は飲み込めないでいたのだ。

それに対して、
柔軟性が足りないとか
頭が固いだとか
言われ続けてきた。

本当に心から「そうだ!」と思い
納得しないと
動けない質なのだ。

もっと言うと、骨身に染みるまで失敗しないと
方向性を変えられない。

そんな馬鹿な性格なのである。


周りの人に
自分のやり方を温かく見守ってもらえるかどうかは
まず
周りの人にそれほど迷惑をかけない範囲で
活動できているかどうかにかかわってくると思う。

さらに欲を言うと、
周りの方へちょっとでいいから協力をしつつ
いざというときに助けてもらえるという関係が
成り立っていることが大切。


今、その関係が成り立っておらず
周りからの目も冷ややかだ。

自分のことをおおむね自立して行えるようになり
自分のやっていることで周りの方にそれほど迷惑をかけずに済み、
さらにお互いに対等の協力関係を保ちつつやっていく。

ある意味、社会的には当たり前と思えるその状態が
できるようになれば、
のびのびと自分のやりたいことができるようになると思われる。

要は、環境整備。
それが整えば、自分は変われる・・・のではないか??


僕はまだ、
心から復帰したいという境地には達していない。


▼引用。▼


「昼夜逆転」現象のナゾ――なぜ「ウツ」の人は朝起きられなくなるのか?

――「うつ」にまつわる誤解 その(7)

http://diamond.jp/series/izumiya/10007/?page=3

<引用>
 日中は、世の中全体が活発に動いている時間であり、人々は皆、仕事や学校に出かけ、有意義な活動をしている時間です。そんな時間に、「うつ」の療養で自宅にポツンといる自分。ただでさえ「うつ」によって無力感を感じ自己否定的な気分があるところに、日中起きていて、状況的にも世の中に取り残されたような感じがしたり、自分が無価値な感じを抱いたりしやすいことは、想像に難くありません。

 逆に、夜や深夜の時間は、世の中のほとんどが活動を休止する時間ですから、クライアントにとってはあまり精神的に委縮することなく過ごしやすい時間でしょう。

 ですから、つらい日中の時間帯には眠ってしまうことによって、世の中からヒリヒリと自分に突き刺さってくるものを自動的に避けようとしているのではないか、そうやって「心」の療養がしやすいようにしているのではないか、と考えられるのです。

 つまり、外傷で「かさぶた」が形成されて外部刺激や感染から傷口の弱い部分を守る働きに相当するような意義が、この「昼夜逆転」にもあるのではないかと考えられるのです。

「規則正しい」は、
文字通り正しいことなのか?

 以前、「遅刻」について触れたとき(第3回)にも述べたことですが、現代のように、「時計」という機械に合わせた「規則正しさ」を考えるようになった歴史は、人類にとって意外に新しいものです。

 健康でバリバリ社会適応している時には気づきにくいことですが、われわれ人間は、季節や天候や月経周期を含めたバイオリズムなどによって、日々違う状態にある「生き物」です。それを機械的リズムで規制することがいかに「生き物」の自然に反したことなのか、ということを、改めて考えてみる必要があるのではないかということです。

 特に「うつ」の状態にあるような時には、現代社会が求めてくる価値観から自分を眺めるよりも、「病気」や「症状」が何か大切な働きをしてくれているのではないか、と、しばし立ち止まって、視点を変えてみることも大切なことなのです。

(以上、引用終わり。)


夜中、精神的に委縮することなく
のびのびと過ごすことのできる時間であるというのは
頷ける部分。

夜更かしをしてしまう心理は、僕にもあてはまる。

わざと周りの人と活動時間帯を変えようとする
潜在意識の仕業ということなのでしょうか??

鬱のとき、
昼夜逆転も仕方がない、
もっと言うと
それをすることによって
精神を安定しようとしているのだから、
止める必要はないということか。


現在、僕自身で言えば
昼夜逆転の時期は終わりましたが、
日中のうたた寝はひどくなっています。

人の2倍は寝ないと
バランスがとれないみたい。



良い子ちゃんを演じ、
周りの人からの評価をもらうことが
唯一、自分を価値づけること。

その考えは、
今も曲げられません。

正直、褒められたいのです。

でも実際、人に認められる自信もないし
そのための努力をしようにも
体が動かない。

自分の「~したい」という心に正直になる部分、
作りたい。

人づきあいが苦手である根本的な原因の一つは
自分自身との付き合い方が下手というところにありそうだ。
(自己判断)

人様を笑顔にしたかったら
まず、自分自身を笑顔にするぐらい
できなくちゃですね。


▼自分の状態によく似た例を発見したので、ここに貼り付けておく。▼



「ウツ」の人が遅刻や無断欠勤を繰り返すのは、責任感が足りないから?

――「うつ」にまつわる誤解 その(3)

http://diamond.jp/series/izumiya/10003/?page=3

<引用>

責任感が足りないから
遅刻するのか?

 K子さんは、上司から「責任感」が足りないと指摘され、「キチンと自己管理すべきだ」と言われてしまいました。しかし、K子さんとしては、いくら気をつけようと思っても、結局遅刻を繰り返してしまう。そんな自分自身に、かなり自己嫌悪してしまっています。

 「あるべき自己」と「ある自己」という言葉を使って心理状態を整理してみると、遅刻してしまう状態の人は、自己イメージが「あるべき自己」一色になってしまっていて、「ある自己」が見えなくなってしまっているのだと言えるでしょう。

 そこに、「自己管理すべき」とか「責任感が足りない」といったフレーズは、「頭」の「あるべき」の方ばかりを強化するような言葉ですから、まったく逆効果にしかならないのは明らかなことなのです。

自分に謝ることが大切

 さて、この「遅刻」というものについて、時間軸を過去にたどって眺めてみると、せいぜいここ百数十年程度しか存在していない、極めて新しい観念であることがわかります。つまり、時計などという反自然的で機械的なものに人間が束縛されるようになって登場した、まったく人為的な事態が「遅刻」なのです。

 ですから、大自然由来の「心」=「身体」にしてみれば、機械の時間に合わせて季節も体調も関係なしに起きなければならないことなど、不自然極まりないことであり、やりたくないに決まっているわけです。それを、社会化された「頭」の命令にいつも無理に従わされて、いやいや毎朝起きているのが現代人の実状なのです。

 そういう認識が普段からできていれば、「あるべき自己」とは、現代社会という人為的「ごっこ」の世界の中では望ましいとされている姿に過ぎないわけで、「ある自己」は、かなり無理をしてそれに合わせてくれているのだということが感じられるはずです。

 そうすれば私たちも、「自己管理」とか「自己コントロール」といった「頭」中心の横柄な発想ではなく、「こんな時代に生まれたので、いつも不自然な無理をかけて申し訳ない」といった謝罪といたわりの気持ちが、自分の「心」=「身体」に対して向かうはずです

 これで、蓋は開き、「ある自己」を見失わない柔らかく自然な自分が保たれる
はずですし、遅刻はもちろん、「うつ」という事態に自分を追い込むこともないでしょう。

(以上、引用終わり。)





僕の遅刻癖は、幼いころから培ったもので
最近に限ったことではありません(爆笑)。

ただ、「身体への謝罪といたわりの気持ち」という視点は
ぜひこれから持っていきたいと考えています。


自分なら「ウツ」は必ず自覚できる、という誤解

――「うつ」にまつわる誤解 その(2)
http://diamond.jp/series/izumiya/10002/?page=4
 

<引用> 
自分を「うつ」に
追い込まないためには?

 日々のさまざまなストレス状況を生きている私たちが、自分自身を「うつ」に追い込んでしまわないためには、「身体」にかすかに表れた変調を早めに察知し、「心」のシグナルを受け取れるような心構えを作っておくことが大切です。

 身体の不調を、ただ「困ったこと」と受け取るのではなく、「これは何を言っているのだろうか?」という問いを持つこと。そして、それを手がかりに、自分の「心」に耳を傾けてみること。これを続けていくことで、少しずつ「頭」と「心」の間の蓋(ふた)が開くような自分になっていきます。

 それは、単に「うつ」を遠ざけるのみならず、自然体で生き生きした、本来の自分の姿を取り戻すことにもつながるのです

(以上、引用終わり。)




自分の心に耳を傾ける、自分の体をいたわる・・・。

これらのことをしながら生きていくことが
「自然体の自分」を探す手がかりになりそうだ。


パニック障害と「ウツ」――“いま”を生きづらい現代人への警鐘

――「うつ」にまつわる誤解 その(21)
http://diamond.jp/series/izumiya/10021/?page=3

<引用>

「将来に備える」価値観の落とし穴

 いくら将来のためとはいえ、現在を生きることに手応えが欠けてしまっては、「心」(=「身体」)は早晩、実力行使に訴えてくることになります。

 その実力行使が、パニック障害の形をとることもあれば、「うつ」の形をとることもあるでしょう。しかし、重篤な身体疾患を引き起こし、仮想の“メメント・モリ”ではなく、身体的で現実的な死の恐怖の形で“メメント・モリ”を突きつけてくることもあるのではないか。

 つまり、象徴的な次元でメッセージが発せられた時にはメンタルのトラブルの形をとりますが、現実的な次元でなければメッセージが届かないとなれば、やむなく身体的疾患の形をとることになるのではないかと私は考えるのです。

 「将来に備える」という考えは、仏教的に観れば「執着」と捉えるべきものでもありますが、今日ではこの考えが真っ当なものとして、個人のレベルを超えて社会全体の風潮にまでなっています。しかし、「将来に備える」という一見正しく合理的に見える価値観は、「いま・ここ」を生きるという自然な在り方を犠牲にする危険な側面も持っていることを忘れてはなりません。

 忍耐強く禁欲的であることを美徳として勤勉に生きてきた私たち日本人は、ともすると「いま・ここ」を大切にすることに罪悪感すら抱いてしまう傾向があります。しかし「将来への備え」の正体とは、実のところキリのない「執着」であり、「いつかそのうちに」と思って「いま」を浪費しているうちに、貴重な人生の時間は終わりを迎えてしまうかもしれないのです。

 「死を想え」という古い格言や「今日という日を摘め」という古い一節は、今日の私たちにとって決して無用なものではありません。古今東西、人間の生きている実感とは、常に「いま・ここ」以外で得られたことはなかったのです。

(以上、引用終わり。)





きりのない執着、
「いつかそのうちに」と思って「今」を浪費している・・・

とても自分に当てはまると思う。

心が感じる「直観」に正直である瞬間も大切。

今も、大切にすることができるようになりたい。



僕が生きてきてよかったと思う瞬間。

それは、心の底から「分かった」「納得」「新しい何かを体得した」と思う瞬間。

今日、一つ
何かが分かったような気がして、嬉しかったのです。

それは、自分が「鬱」だったということに
納得したということ。

何にもしたくない日々が続き
(きっと現在もそう。)
どうしてか分からなかったけれど
その原因が分かったような気がして
何だか嬉しくなりました。



must や should の系列
(「~すべきだ」「~してはならない」「~にちがいない」)の
一方的な命令を身体(心)に課しているのにもかかわらず、
身体(心)のwant to や like の系列
(「~したい」「~したくない」「好き」「嫌い」)の
要望に全く答えていなかったのではないか
ということが分かりました。
(まったくの自己判断。)

いや、実際には身体(心)の要求に応えていなかったのではなく
頭がそれに気付かないので、
身体(心)が暴走して
やけ食いを起こしたり、
活動をボイコットしてとにかく眠る
(仕事そっちのけで絵を描くもそれに当てはまる)
といったような行動につながっていました。

もっと頭が身体(心)の要求を
素直に認知し
受け入れて
身体(心)を満足させつつ
頭からの命令にも意欲的に取り組めるように
しなくてはいけなかったのです。

そう考えてみると
確かに
身体(心)が楽しい・心地よいと感じるようなことは
取り立てて何もしてきませんでした。

でも、毛布にくるまってぬくぬくと横になった時に
疲れが癒される時の「快適」な感覚が
始めて僕に「身体(心)」の存在を実感させてくれたような気がしたのです。

なので、今までも身体(心)の要求には
結果的に応えてきたといえるのですが
それは、なんとなく
「だらしない」「よくない」「しかたない」などという頭のラべリングとともに
「容認してしまう」というようなスタンスで行ってきました。

しかし、本来僕がここに存在する定義として
身体という物は欠かせない存在であって
過去からバトンをつないでもらってここにある
畏敬をもって扱わなくてはならない大切なものなのです。

だから、身体(心)が感じることを
大事なこととして頭がすくい取って実現し、
満足させていかなくてはならないものなのです。

「~しなくちゃ」と言う考え方で縛りつけていたから
努力を強いて行う嫌なことになってしまっていた。

これからは「~したい」という考え方で
やりたいことに夢中になるという思考方法にチェンジしていきたいと思います。

身体(心)の要求にこたえつつ
心と頭のバランスを取りながら
「したい」思考で物事に夢中になる。

そんな自分に生まれ変わりたいっ!!!!!


▼以下、引用。▼

ライフハッカー[日本版]
http://www.lifehacker.jp/

「まとめ:やる気無しモードの日。モチベーションがあがる22の方法」
http://www.lifehacker.jp/2009/11/091114_yaruki.html

とりあえず、UPしてメモ×2.
記事を読んで思うことがあったら、追記します。

▼以下、引用。▼


「ON、OFFのけじめが、クレージーな発想を生む」/日本マクドナルド・原田社長
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091112-00000001-president-bus_all


<引用>

時間管理は手帳の使い方よりも、無駄な予定を入れないことにつきますね。

無駄は排除しますが、どんなに忙しくても必ず1日2時間の空白時間をつくります。経営者としての判断を誤らないためには、ひとりになって仕事の中身を一つひとつ検証したり、整理したりする時間が不可欠だからです。といっても、社長室でじっと目をつぶって思索に耽るようなことはあまりなく、たいていは会社のなかをぶらぶら歩いたり、店舗でコーヒーを飲んだりしながら、いろいろなことに想いを巡らしています。

浮かんだアイデアは、覚えるのでメモ帳は要りません。書くと安心して忘れてしまうでしょう。それだと、メモ帳を失くしたらそれで終わりではないですか。だったら気合を入れて記憶したほうがよっぽど安心できます。たとえど忘れしても、意味のあるアイデアなら、いざというときには必ず思い出せるものです。

午後6時以降の残業禁止は私が決めました。仕事が人生のすべてのような考え方は健全ではないからです。

6時に仕事を終えたあとに何をするかは個人の自由に任せています。習い事をしてもいいし、家に帰って家族と夕食をともにするのもいい、居酒屋に直行したってかまいません。大事なのは、オンとオフのけじめがあること。そういう意識がないと、日本人はまじめなので、自分の時間をすべて仕事に注ぎ込んでしまいかねないのです。自分の時間はすべてビジネスアワーだと思って働けという経営者もいるようですが、私はそうは思いません。仕事と趣味と家族と過ごす時間の、どれが欠けても充実した人生は送れませんし、仕事一辺倒ではクリエーティブなひらめきも生まれないでしょう。

「マクドナルド、コーヒー無料キャンペーン」は2年越しで実現した私のアイデアです。去年は店の外でサンプリング・カップを配っていましたが、あんな普通なことではダメです。店のなかで無料で提供するから話題になるのだと社内の反対を押し切って、強引に実施したところ結果は大成功。キャンペーン期間中は客数だけでなく客単価も上がりました。これから戦力になるのは、こういうクレージーな発想ができる人なのです。
 いまは毎朝10.5キロのジョギングが日課です。週末は自転車。100キロは軽く走ります。最近は少し休んでいますが、ドラムという趣味もあります。私が仕事だけの人間だったらきっと、コーヒー無料のアイデアは生まれなかったと思いますよ。


「徹底的に無駄を排除し、スピードを上げ、密度を濃くすれば、延々と残業をしていたときよりむしろ、仕事の質は上がる」


耳の痛いお言葉(^-^;)
しかし、こういうお言葉から何かを読み取り
自分の生き方に生かせたらいいなと思います。

仕事だけの日々を過ごしていても
良い仕事をできるようにはならない。

ONとOFFの切り替えをしっかりとして
24hという限られた1日の質を向上させることで
よりよく生きるアイディアやひらめきも生まれてくる。

そんな人生を過ごしたい。


ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/


将来のリスクばかり考えて「今」を楽しまないことの害悪
――安定志向が「ウツ」を引き起こす
http://diamond.jp/series/izumiya02/10004/



<引用>

「うつ」は「生き生きと」生きる契機

生きるとはこの世でもっとも稀なことである。大抵の人間は存在しているにすぎない。(西村孝次訳『オスカー・ワイルド全集』第3巻収載「箴言」、青土社より)

 このオスカー・ワイルドの箴言は、現代の私たちにも鋭く突き刺さってくるものです。「生きているもの」とは、例外なく即興性を持っているものです。周到に計画され準備されたものは、失敗による落胆も起こらないかわりに、予想外の収穫を得るという喜びもありません。人が「生き生きと」生きるためには、どうしてもこの即興性が欠かせない要素だと言えるでしょう。

 しかし、計画を立ててそれを実行することが良いことであると幼い頃から叩き込まれ、社会に出てからもそれを求められ続ける現代人にとって、即興性を失わずに生きることはなかなか容易ではありません。

――久しぶりに通勤ラッシュの電車に乗ってみたら、みんな目が死んでいて、とても異様な空気を感じました。以前はそんなことに気づきもしなかったから、きっと自分も昔はあんな目をしていたんでしょうね。

 「うつ」から回復して社会復帰しはじめた方たちから、よくこんな感想を耳にすることがあります。

 前連載第24回、「うつ」からの回復は「生まれ直す」ような変化であると述べましたが、まさに「うつ」とは、人を「死んだような」状態から「生きた」状態に引き戻してくれる重要な契機であると見ることもできるわけです。

先が見えない不安と先が見えた落胆

 人間の「頭」はコンピューターのごとく情報処理を行ないますが、過去の情報を元にした未来の予測を行なったり、計画を立てたりするのが得意技です。時制で言えば、もっぱら「過去」と「未来」に関わっており、「現在」をうまく扱えないという限界があります。

 つまり、「先が見えない」ことを不安と感じるのは、「未来」を扱う「頭」なのですが、しかし逆に「先が見えた」という言葉もあるように、先が見えることで「心」(=「身体」)は即興性を奪われ、落胆してしまいます。心電図の波形を見てもわかるように、生物にとっては変化こそが「生きている」ことなのであって、安定とは究極は「死」の世界なのです。

 人間という存在がややこしいのは、「頭」は省力化を目指し安定を志向するのに、「心」(=「身体」)の側は変化を求めるという、相反する性質が同居しているためなのです。

 フロイトはエロスとタナトスという言葉で、この相反する「生の欲動」と「死の欲動」を表現しましたが、現代の私たちは「頭」の要請にばかり目を奪われがちで、知らず知らずのうちに「死の欲動(タナトス)」を肥大化させてしまっている状態にあります。

 そのような状況の下で、私たちはどうにかして「心」(=「身体」)が求める即興的な「生」の要素を失わないように日々を送る必要があると言えるでしょう。








・・・。僕の辞書には「計画を立てる」というフレーズがありません。
常に即興的な毎日を過ごしています。
いいえ、本当はそうではなくて
毎日、周りの方が作ってくれたカリキュラムに乗って
変化のない毎日を過ごしています。

僕の目が「死んだ魚の目」をしているのは、
「安定」もできず、「変化」もできない泥沼のような毎日に
溺れてしまっているからでしょう。

「安定」という枠を自分なりに作り上げ
その中に『成長』という「変化」を遂げられたら
僕の眼の色は変わると思います。

<気付き>から<実行>へ
動きたいけど、動けない。
笑ってやってくださいな。


http://lifehacking.jp/ より
『「あなたは見られている」効果を味方に付けて成長する』
http://lifehacking.jp/2009/11/you-are-being-watched/?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+Lifehackingjp+%28Lifehacking.jp%29&utm_content=Google+Reader

<引用>
自分を、自分の望む方向に変えるための友人や同僚の視線を意識して、その視線のなかに自らを置くことで変化を起こしやすくすることができる。




今、自分が見られているという緊張感が皆無。
見られているという緊張感、持たなくちゃですね。


産経ニュースより
【正論】筑波大学名誉教授・村上和雄 「心」を変えてヒトは進化する

http://sankei.jp.msn.com/science/science/091113/scn0911130330000-n1.htm

<引用>

 心にも、ある種のエネルギーがあり、「思い」や「心の持ちかた」が遺伝子のオンとオフを変えるという事実である。

 つまり、心の働きを変えるだけで、遺伝子レベルでも高次の人間に進化できる可能性があるということが分かり始めた。

 この事実は、人の生き方や考え方に、新たな望みを与えてくれる。なぜなら、人のDNAは自分で変更できないが、心は自分で変えられるからである。

私は、笑い、感動、感謝、生き生きワクワクした気持ち、さらには、敬虔(けいけん)な祈りまでもが、良い遺伝子をオンにすると考えている。

 これからの私たちは、意識して、よい遺伝子のスイッチをオンにすることで新しい人間性を生み出すことができる可能性がある。

(以上、引用終わり。)


<感想>
心のありようで、
DNAレベルにおいても
スイッチをONにもOFFにもできる。
つまり、なりたい自分になるかどうかは
最終的に、
やはり自分が決めるということだ。
マインドコントロールが大切。
心にスイッチを入れて
動き始めなくてはいけない!!!!


▼以下、引用文の倉庫。▼

phaさんのブログ「phaのニート日記
『文学系Twitter Botのまとめ』
http://d.hatena.ne.jp/pha/20091112/1258037656

何となく。 覚え書き。


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HN:
東山
性別:
非公開
自己紹介:
海月くらげさんにプレゼントしていただいたイラストです。
「リコーダーで音を外す学ラン新一」
ぼくのキャラにぴったりです(笑)。
ありがとうございます!!